人に会うのもまた、ひとつの自傷だった。
深夜1時を回った頃、店内に客の姿はなく学校の休み時間のような拘束された暇な時間に皆飽きていた。
そんな中一人の女の子が自分はメンヘラだしリストカットやレッグカットをしていると言い、
皆がその傷跡を興味深そうに覗き込みに行ってしまった。
「ほんとに切ってる、痛そう」
「浪費癖も一種の自傷らしいよ」
そう騒ぐ声を背に私はひたすらゲームに集中しようと画面を睨み続けた。
私は自傷という言葉も、行動も、その跡もとても苦手だ。
わかりやすい例としてよく言われるリストカット等は聞いただけでドキドキして見ると手が痛くなって苦しい。
でも理解できない訳ではなくて自分を傷つけないとどうしようもない焦りに駆られる時は私にもあって、それがまた辛かった。
浪費癖も自傷、と聞いて私はふっと思い当たることがあった。
心が満たされず、寂しくて苦しくて自分が嫌いで何もわからなくなった時、
私は人に会いたいと焦る時があった。
そしてそれは私を否定せず、私に優しく、そして私に興味がなさそうな人じゃないとダメだった。
私が生きようが死のうが世の中は変わらず回ると実感したくて、そういう人に会うと落ち着くと信じていた。
そしてそれは、きっと自傷だったんだと思う。
私に優しくても私を否定しなくても、私がいなくなった時にそれに気づかないくらい普通に世の中は平和に回ると思い込みたかった。
そして自分は消えてもいいと思いたかったのだ。
なんだか、可哀想だと今になればわかる。
苦しい時、以前よりも外に吐き出すことができるようになってきた。
それは彼のおかげであり、聞いてくれる人がいる、私を愛してくれていると信じているから出来るようになってきたことだ。
彼はそれを聞いてそれならこうしようとかこうじゃないとかそういう話をしてくる人ではないけれど、ただ聞いて優しくしてくれる。
それで私はやっと辛い時には優しくしてもらいたい、彼に会いたいとすぐに浮かぶようになり以前のような事はなくなった。
今でも自分は無価値と思うのはほとんど毎日だし常にだし
自分を傷つけることがなくなったわけではないけれど
少しずつ自分を認めていけているのかな、と考えると少し嬉しかった。
1時半を回っても流れ作業のようにゲームは続き
相変わらずメンヘラとは何かという話で周りは盛り上がっていた。
「ねぇ、まやちゃんはメンヘラ?」
リストカットの張本人である女の子が振り返って私に問いかけた。
「さぁ、うーん、どうだろう」
その質問に胸が苦しくなり、思わず隠した後ろ手で爪を毟りながら私は笑った。
「まやちゃんはそんなことなさそうやけどなぁ」
と笑いながら皆は片付けに向かっていった。
私も全部がなおっていく訳では無い。
まだまだズレた所はたくさんあるけれど少しずつ綺麗にしていきたいな、とザラザラの爪を撫でながら考えていた。
まや